東南アジア2ヶ月旅〜3カ国目カンボジアを北上〜2011,5月

アンコールワットに満足したのでシェムリアップを出て、目指した先は、観光客のいない町へ北上!

の前にやはり大事な腹ごしらえ!


が、しかーし!

タイとは違い、ヒッチハイクが出来ない!!なぜなら乗れるスペースのある車が全く走っていない!車自体少ないのだけれど、通る車はどれも人や荷物で200%満タン!!スクーターが多いのだけど、スクーターですら3,4人乗り!?もしくは大量の荷物!!

こりゃ…無理だ…。地元の人にどうやったらタイの国境近くの町に行けるか聞いてみる。言葉にもちろん苦戦!が、なんとかバスが途中まであるという情報は得られた!

バスに無事に乗れたのはいいのだけれど…

道なき道をものすごい荒い運転で、みんな超ー不安!!汗

〜バスの車窓から〜

そしてバスが終点に到着。

そこからはもうバスがないらしく、タクシーで行くしかないとかなんとか…。そしてなんとその驚きのタクシーとは…?!

な、な、なんと!普通のセダンの車に前4人、後ろに5人の大人9人でシェア!!!しかーも!9人のうち3人は兵士!!!女子1人以外みんなデカい(私含む!)!!!

いや〜、なかなか出来ない体験をしたな〜!汗

しかしドライバーさんは慣れているようで、ドライバー席に2人座った状態で運転してたし!


タイとの国境が近づくと、戦車やら武器倉庫らしいテントがあるのが見えた。この辺りは地雷なんかもまだ多数埋まっているらしい。ダンレック山脈の頂きに、天空に浮かぶ寺院と言われる遺跡があり、これをめぐってタイとカンボジア両国で度々武力衝突があるという。

なんと、私達が国境越えした2,3日後に、銃撃戦があり国境封鎖というニュースをたまたま見てゾッとしたのを覚えている…。


私達が着いたのは、カンボジア北部、タイとの国境近くのアンロンベンという町。

そもそもなぜ彼は開いてるかどうか分からない武力衝突のある国境を越えようとしたのか…。その理由は、歴史好きな彼の叔父さんが、同じく歴史好きな彼のことを彼の名前を文字ってポルポットと呼んでいることにあった!

私は全く知らなかったのだが、クメール•ルージュを率いて、カンボジアを地獄の底に突き落とした(170万人以上が虐殺された)独裁者、ポルポトが最期を過ごした場所、そしてお墓がある場所だからだった。


後で知ったのだけど、ポルポトが心臓病で亡くなったのが1997年…ってつい最近じゃん!?驚


宿を探していると地元の少年が英語で話しかけてきて、自分は英語を勉強しているから、良かったら宿探しをお手伝いしてあげるとのこと。そして予算内の宿が見つかると今度は町を案内してくれた。一緒に市場を回ったり、安くて美味しいレストランを教えてくれたりした。


そして翌日は、狂気の独裁者が最期を過ごした場所を訪ねてみる。


なんだろう…。なんというか、とっても質素なさびれた感じが、哀れさを漂わせていた。

どうやら遺体はここには埋葬されておらず、お墓だけらしい。そりゃそうだ。恨んでいる人がどれだけいることか…。


なんとも複雑な気分にさせられた場所だった。


そして、国境越えは一か八かヒッチハイクにトライ!

どの位待ったかな…45分から1時間くらい、一台の4駆の後ろが荷台になっている車が止まった!

タイの人らしく、仕事で来ていた様子。タイの国境越えてすぐの町まで連れていってくれるとのこと!良かった〜!!!

国境は本当にこじんまりとした感じで、閑散としていた。もちろん地元の人以外に外国人はうちらだけ。一緒に手続きしてくれたタイ人がいなかったら通れていなかった気がする…。ここの国境越えは本当にラッキーだった。


すがすがしい気持ちで風にあおられながら、タイの田舎風景を楽しむ。


この後、さらにタイ北部のアドベンチャー旅が待っていた!

続く